通貨問題再燃中のジンバブエに旅行![青年海外協力隊][任国外旅行][通貨危機][2019年RTGS]

旅行

今回はジンバブエに旅行に行ってきました!

デモに巻き込まれかけたり、
長距離移動中のバスのタイヤが破裂して路頭に迷ったり、
親切にしてくれた家族からネズミ講(マルチビジネス)に勧誘されたりと、
特に何事も無く楽しんだ旅行でした!

ジンバブエはちょっと心配…?

ジンバブエは実は治安上の理由から同期が派遣されていなかったり、
渡航禁止になっていた過去があったりと色々心配しながらの旅行でした。

旅行を決めてチケットを取ったある日、
何と政府の方針でUSドルや南アフリカランドが現地で使えなくするとの方針が発表されました。

ジンバブエの簡単な歴史と通貨について

ジンバブエといえば、上のニュースサイトの画像にもなっている

100兆ジンバブエ・ドルで有名ですが、その簡単な歴史を。

ジンバブエ - Wikipedia

ジンバブエ共和国

  • 19世紀以前は地域の民族による争いや統治を繰り返していた
    グレート・ジンバブエ遺跡などは14世紀頃
  • 19世紀後半からイギリスの植民地時代が始まる
    黒人差別が激しかったとされる。白人の時代。特に大規模農業で栄える。
  • 第二次世界大戦後、白人と黒人で対立し内戦勃発。混迷する。
    ローデシア紛争
  • 紛争終結後、ムガベ政権が生まれその後37年間続き、後半は独裁化が強まった。
    当初は、白人と黒人双方に良い政権であった側面もあったとのこと。
  • ムガベ政権末期、白人を追い出す政策を取る。黒人へ土地が再分配されることとなる。
    →結果、国内経済が混乱。ハイパーインフレにより100兆ジンバブエ・ドルが生まれる。
  • ムガベ政権崩壊後、アメリカドルが一般的に使用される。
    →南アフリカランドや人民元、さらに一時期、日本円も使えていた地域があるとのこと。
  • 自国経済安定化のため、RTGSと呼ばれるジンバブエ独自通貨が発行される。
    現在はRTGSのみが法定通貨となっている。価格は暴落中。

 

100兆ジンバブエ・ドルが発行されるまでの歴史も、長いこと混乱していたからだったようです。

というわけで、通貨に心配を抱きながらお金はとりあえず

ドルと南アフリカランドを用意!

海外ではRTGSは用意出来ませんでした…

飛行機でハラレ空港に到着

さて空港に着くと、とりあえず両替とSIMカードを購入。

私の到着時刻は両替屋が閉まっていたのですが、先に着いていた彼女が

100USD ≒ 780 RTGS 程で交換しておいてくれていました。

ちなみに、1ヶ月ほど前に現地の隊員に聞いた時は1:6でしたので、絶賛RTGS暴落中でした。

 

また後から知ったのですが、RTGSは絶賛紙幣不足とのこと。両替できたのはラッキーでした。
(私も翌日100ドル分なんとか両替できましたが、街中の人は紙幣不足に困っていました。)

 

ハラレ(首都)

初日は首都ハラレに泊まる予定でハラレ市内に移動。

そして早速問題が発生。

ハラレは水不足が深刻と言われていたのですが、
(ニュースで事前に知っていましたが)なんと停電で水が出ないとの事。
幸い宿のオーナーの計らいで問題はありませんでしたが、ジンバブエの問題の一旦を見た気がしました。

ちなみにハラレの水道水は飲まない方がいいとオーナーからも釘を刺されました。

街は雰囲気も良く、とても広く発展していました。

 

印象的だったのは宿のオーナー。
おばあちゃん的な方でしたが、とても精力的で副業的に宿をやっているとのこと。
通貨問題は生活にどう影響しているか聞いたのですが、やはりとても大きい問題になっているとのこと。
まず、ハラレの街中は完全にRTGSのみの利用。海外のVISAカードなども使えませんでした!
現地の人は紙幣不足のため、例えばお給料なども現金に出来る量が制限されていたりするとのこと。

基本はみなさんECO Cashという電子マネーで生活しています。ファストフードの支払いもほとんど皆電子マネー。こうゆうところが実は日本とかより発展してるポイント。

オーナーいわく、

2000年代の最初はスーパーに物が無くて何も買えなかった。

今はスーパーに物が溢れているが、高すぎて買えない人が多い。

状況は良くなっていると言えるが、生活が楽になったとは思えない。

とのこと。
うーむ、ジンバブエは変わってきてはいるけど、まだまだ安定には遠いんだなという印象の一日目。

ビクトリアフォールズ

さてハラレでの初日から、翌日は飛行機で世界遺産のビクトリアフォールズへ

とてつもない水量を誇るビクトリアフォールズですが、今(8月)は乾季。

ちょっと心配していましたが、水しぶきで雨降ってるみたいになるぐらいに水ありました。

ザンビア側ではすでに終わっていた、ルナレインボーもジンバブエ側では見れました!

 

そして肝心の通貨問題ですが、

ビクトリアフォールズの街ではUSドルもVISAカードも使えました!

急に決まった法律より、収入・観光客優先ということでしょう。当然といえば当然ですね。

 

街中はかなり色んなお店・レストラン・カフェがあり、ゆっくり出来ました!

(事前情報があまりなかったので心配でしたが・・・!)

そしてこの頃にはっきりと認識しだしますが、
「ジンバブエ良い人多い!」説が凄かったです。
皆さんタクシードライバーやお土産物売りなどでも、
とても理性的に、こちらの事を考えながら話してくれます。教育がいいのか・・・?と思い始めました。

ブラワヨ(マトポ遺跡)

翌日はジンバブエ第二の都市ブラワヨへ。

この都市には青年海外協力隊の隊員の方がいらっしゃって、事前にTwitterで色々情報を伺っていました!ありがとうございます!

この都市ではまた別の世界遺産、マトポ遺跡に行ってきました。

ブラワヨの街中からは車で40分ほどで着きました。

奇岩が有名なこの遺跡ですが、今回は特にこのRhodes卿のお墓がとても印象的でした。

この方は、

  • ケープ植民地首相(現在の南アフリカのケープタウン)
    →差別的政策の筆頭でもあったとのこと。
  • 現ジンバブエに該当する地域を制服し、ローデシアと名付ける。(自分の名前から)
  • その後ケープタウンで最後を迎えるも、
    ローデシアのマトポ遺跡に葬ってくれと遺言を残したため、現ジンバブエに眠る。

という経歴の方。詳細はこちらに。

この日は地元のタクシードライバーにガイド的なことをお願いしたんですが、

私が、「悪気はないんだけど、ジンバブエの世界遺産に彼のお墓があるのどう思う?」と聞いたところ。

過去は過去だよ。

ムガベ政権時に、彼のお墓を移そうという運動があったけど、我々はそうはしなかった。

それはあくまで歴史だし、彼はもう故人だからね。

と言っていました。

私はこの旅行の半年ほど前にケープタウンでも植民地支配時代についてのツアーや、
話しを聞いてきていましたが、
この時代の事を語る現地の人たちは私達では想像出来ない辛さと強さがあるんだなと感じました。
どこかで受け入れる強さと、そして現在に立ち向かうという名目で過去は忘れるというのが必要なのかもしれないと思いました。

トップ画像の先住民族の壁画もこのエリアで見ることができました。
また、古くからこの地域は今で言うところのパワースポット的な場所だったようです。

デモの情報と街中の人たちの反応

さて、実はこの日、私のいたブラワヨはデモがあるかも!?と言われていました。

実際には、首都でデモが起こり、ブラワヨでは何もありませんでした。

現政権への反発という形でしたが、
街中の人の意見としては、現政権も汚職や腐敗がひどいという認識のようでした。

青年海外協力隊の隊員は、基本的に危険情報(デモや災害)がある地域は活動・渡航が出来ません。我々の安全のために事務所の方が常に対応してくださいます。
今回はたまたま事前に情報が無く、旅行中に情報が入ってきたため、ジンバブエ事務所の方などから連絡を受けて危険地域に立ち寄らないように対応しました。

マシンゴ(グレート・ジンバブエ遺跡)

そんなブラワヨの街を後に、次はマシンゴという別の街に行きました。

ここでは主に、グレート・ジンバブエ遺跡という世界遺産を見に来ました!

マシンゴの街中からは車で1時間ほどで着きます。

セメントなどは一切使わず、石のみで築き上げられた壁。

日本だったら地震で一発で倒壊しそうとか思いながらも、この国の国名にもなった遺跡を見て回りました。

うん、石積み上がってるなっていう感想がメインだったのは内緒ですが

アフリカで数カ国回ってきましたが、
このようにアフリカの民族が作った建造物で長く残っているものを見たのは初めてでした。
これは、この土地や人に(征服者の代替わりはあったにせよ)とても強い力があったことの現れだと感じました。

ジンバブエのダンスも見れます。

マシンゴの宿のオーナーも気さくな良い人でしたが、このようなことを言っていました。

最近はグレート・ジンバブエ遺跡への観光客も減ってきて、ほとんどが国内の学校旅行生だけだよ。
息子が今度大学に通い始めるけど、その学費も新しい通貨で払わないと行けないのが大変だよ。

別の息子はアーティストになりたいって言ってるけど、
この国じゃ定職についてないのがほとんどだし、仕事が無い。稼ぐのも難しい。
アートは元々お金にならないだろう?
だから息子は、ツアーガイドみたいなことを今度始めるんだよ。
この国じゃ自分で商売を始めないとやっていけないからね。

宿のオーナー宅にはご家族も一緒で、特に大きい息子たちはお父さんを手伝っているようでした。
大変だねという話しをしていたら、こんな風に言っていたお父さんが凄いなと思いました。

そりゃ今のジンバブエの生活は大変だけど、
大変じゃない人生なんて無い。そうだろう?

何人も家族を育て上げたお父さんの言葉は、とても重く感じられました。

 

マシンゴの街中では、闇両替商という名の両替商がそこら中にいました笑
レートは空港とほぼ同じで、紙幣を求めてる人が大半でした。
また、両替商は少し使い古されたお札を使っており、
私が空港で手に入れたような新札を持っている人はみかけませんでした。

ハラレ再び

さてさて、最終日前日となるこの日はハラレに帰ってきました!

実にほぼジンバブエ1周と言ってもいい旅でしたが、色んな地域を見て回ることが出来ました。

上の写真はとても綺麗な、白人の方のやっているちょっと高いレストランで、

めちゃくちゃ美味しかったです。味が繊細。

エスワティニでもそうですが、
富裕層が行くお店かそうじゃないかはかなりはっきり分かれています。
アフリカあるあるかもしれないなと思いましたが、まぁ日本でもそうかもしれませんね。

最終日の朝、

ホテルのレストランでついてくれたウェイターのお父さんが教育について話してくれました。

学校の教育はよくなってきている。
私が学校に行っていた内戦前はほとんど基礎的なことしか学ばなかったけど、
今は子供達が色んなことを学校で学んでいる。
ただ、もちろんそのためには子供達の学費を払わないといけない。
貴方達外国人が旅行に来てくれるお陰で払えます。ありがとう。

あとで別の方から、人づてに聞いたのですが、
ムガベ政権のある時期では白人と黒人の差別をなくそうという動きから、
両者を同じ学校に通わせるようになっていたとのことです。
そのため、白人の親たちも学校教育を良くするために活動し、教育の質向上にも繋がっていたと思われます。

最後まで、ジンバブエの方々の人の良さ、教養の高さのようなものを感じていましたが、
こういったところに起源があるのかも・・・?と感じました。

ちなみに、チップは現金が嬉しいとのことでした。
やはり現金不足。また、銀行に預けても引き出せる可能性が低いため、家にためているとのこと。

ちなみにハラレの街中の闇両替商は、南アフリカランドやドルを普通に交換してくれました。
中には、むしろ積極的に外貨を欲しがっている両替商もいました。
空港などでRTGSが手に入らなかった場合、今の所ハラレが良さそうです。

最後に空港まで送ってくれた運転手の方は、

この国はまたハイパーインフレに向かっているよ。
すぐにこの紙幣(今使われている5RTGSと2RTGS)も使えなくなるよ。
インクと紙が足りないからね、
そのうちただの紙に、銀行でハンコ押したものも現金扱いになるよ笑

と、笑っていました。冗談でしょ?と言っても、彼は冗談では無いと譲りませんでした。
事実、RTGSは暴落を続けていますし、デモも起こって政治の安定化はまだ遠そうです。

I’m a surviver

この旅で、何度か

I’m a surviver.

という言葉を聞きました。
彼らは、過去も今も、生き残りの競争を戦い、
そしてそれを誇りに思っているということの表れだと感じました。

 

最後に、ジンバブエ旅行を検討されている方へ(2019/8)

現在ジンバブエでは基本はRTGSを持っていたほうが無難です。

観光地ではドルも使えることが多いですが、

何かの理由で相手が受け取れないかもしれません。

空港や、ハラレなど大きい都市である程度用意するようにされるといいと思います。

もし何か知りたいことがあれば、こちらにご連絡下さい。

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